マザーテレサになりたかった

ADHD,うつ,HSP,パンセクシャル,ポリアモリー,一児の母,毒親育ち。生きづらいのフルコース。なんとか楽しく自己肯定感上げてきたいね。口が悪いです。

風俗に行く男って惨めじゃないの?

夫との触れ合いが怖くて、寂しいから人肌恋しくて、自分に下心を持つ男では気持ち悪くて、でも大事に扱われる触れ合いをしたいから、そうかお金を払ってプロに頼めばいいんだ。と思い立って女性向け風俗のキャストプロフィールを見ていた。

カジュアルな私服で勤務OKな職場に勤めているから、スーツを着ているというだけで私には遠い存在で、その上イケメンとあればもうまったく周りにいない。お金を払えばこんな人たちに触れてもらえるんだ…ってわくわくした。

その瞬間に、自尊心がぐちゃぐちゃに崩れていくのを感じた。この人たちの周りには、お金なんか払わなくても、この人たちと対等な恋愛やセックスできるきれいな女がうじゃうじゃいるんだな、対して私には金が必要なのか…。と思ったら、惨めで、払い続けるお金も割り切れる心もないし、とページを削除した。

 

風俗に行く男って、すごいわ。いや女もだけど、男の方が清潔感なくてモテないのに風俗行くやつの母数が多いじゃん。なんで?自信無くさないの?私も自分の性欲だけで男との行為に没頭してみたいよ。でもできないよ。悲しくて惨めで冷静になっちゃうよ。

 

無条件で必要とされたり、求められたり、愛されたりしたいのに、それが叶わないって突きつけられるの、しんどいよ。それならオナニーに逃げれば、お金もかからないし、すぐに眠れて、朝日を浴びられる。うう、優しくされたい。大事にされたい。

15年好きだったひとに、まだ抱かれたかった話

 


15年好きだったひとの夢を見た。4年ぶりくらいに。夢の設定は夢なのでよくわからないが、目覚めたときに体には余韻が残っていて、緊張からかしばらく震えていた。脳は甘美な悲しさで浸っていて、バーのようなところで再会して二人で話す妄想が繰り広げられた。緊張する体と、周りが見えなくなってとろけている脳が共存しているさまは典型的な恋の症状で、久しぶりに恋をしていた。妄想の中では、ずっと言いたくても言えなかったこと(入学式の日から一目惚れだったこと、いつも人に囲まれている明るさに憧れていたこと、今でもこんなに震えてしまうこと、だけど少し進歩してこんなふうに話せていて、それがとても嬉しいことなんか)を、あの頃よりもはっきりした口調と笑顔で伝えられていた。彼で妄想するときはいつも、そこまでしか進めない。その先の可能性が考えられないし(自分が彼に女性として見なされるという想像がまったくもってつかない)会話する妄想だけでも濡れるし気持ちが高ぶりすぎて泣きながら自慰をするのがいつものことだった。そんなんだから対等にはなれなくて、当たり前に失恋した。でも死ぬまでに一度、人生でいちばん恋焦がれた彼に抱かれてみたくて、その思いはたぶんこの先も消えないんだろうと思い知らされるような夢だった。私はずっと女である自分が嫌いだったけれど、思えば彼に対してだけはずっとずっと女だったんだよなあ。浅はかなほどに。抱かれることしか考えられなかったから。歪んだ思春期には彼を殺したくてたまらなかったけど、だいぶ大人になってからは、彼と対等に話してみたいという願いに変わった。ひとりの母と、ひとりの父として。一年くらいの差で結婚して子どもを持ったから、共通の話題もあるだろう。そうかまだまだ恋をしているんだな。アイドルみたいな永遠の推し。もしまたいつか会える日が来たら、対等に話せるように、普通の同級生として会話できるように、ちょっとでも進歩していたいなって思った夜明け。

 

 

 

以下忘れないための夢メモ

 


名古屋の観光ポスター(背景が黄緑色)に何故か掲載されている彼の横顔を見つめていてポスターが欲しいと見つめていた。

なにかのアンケートに記入する際のペンを持っていない彼に余っていたペン(よくあるアンケート記入用の黒くて軽いクリップと一体化した簡易的なもの)を渡しに行くんだけど緊張して手が震えて、やっと渡せたと思ったらしりもちをついてしまい、羞恥で起きるのに時間がかかって。彼は手を差し伸べてはくれなかった。場所は真っ白な廊下。他にもたくさん人がいた。私はボディラインの出るワンピースと黒のストッキング、ヒールパンプスを履いていた。彼はグレーのスーツを着て、あの頃より少し太っていた。

クリスマスイブに恋人と会えない人へ

クリスマスに恋人と会えない。デートしようとしたら仕事があると断られた。まさか浮気してるのかな?いやむしろこっちが浮気相手で本命がいるのかな?と友人が不安がっていた。検索してみたら同じように不安を抱えている人がいるようなので書く。確かにその可能性は否定できない。でも、会えないという事実は変わらないのだからしょうがない。でも、ここでなぜ会えないのと責めたり別日の提案を無理やり取り付けるのは得策ではない。恋人と過ごすという何に準拠しているのかよくわからないイメージに踊らされているバカという印象しか与えない。仕事のできる男は、基本的にクリスマスを企業戦略としか捉えていない。それにだいたいイブは仕事だ。平日だから営業日だ。サービス業ならかきいれどきだ。仕事がなくても進んでデートしたいと思わない。クリスマスだからって普段は混んでいない店も混んでるし、イベントごとは通常よりも値段を高く設定している。別の日に行けば空いていてリーズナブルにおいしくご飯を食べられるのに。男は「クリスマスに彼女と一緒に過ごしたい」という気持ちではなく「クリスマスに彼女と一緒に過ごすことは合理的か」と考えて判断する。おいしいディナーやプレゼントをして喜ばせ、関係が進展したりガードがゆるくなったり、好感度が上がるなら重い腰を上げようかな。という感じである。だからクリスマスに会えない理由は、二番目かもしれないという最悪の事態を除くと、賢く合理的で結婚に向いている男か、仕事に勤しむ真っ当あるいは優秀な男かのどちらかである。そして仮に二番目という最悪パターンであっても、クリスマスに会えないことに駄々をこねず「そっかあ。仕事頑張って!」と責めないどころか爽やかに応援してくれる女性には、価値を引き上げるものだ。本命にはディナーとプレゼントを用意してコストをかける。しかし、コストをかけなくてはいけない恋愛は、いずれ冷める。金を持っていてコストに痛みを感じなくても、ちゃんと精神が成熟していて女性と対等な関係を築ける男なら、コスト不要でも自分を尊重してくれる女性を「一緒に生活する相手」として選ぶものである。手持ち分がいつ減るかわからないからだ。これは男女逆でも同じ。イベントに浮かれることよりも、相手を尊重して大事に思われたほうが、愛は継続できるのではないか。

恋愛にテクニックは不要だと思う理由

【結論】恋愛にテクニックはいらない

こうすればモテる・恋人できる・恋愛うまくいく。そんな「恋愛のテクニック」は、ネットや雑誌、ハウツー本や、最近ではYouTubeにもあふれかえっている。見聞きしてみると、いろんな心理学や脳科学などを根拠にしており、確かに的を得ているし、間違ったことをそれっぽく垂れ流しているわけではない。しかし、私はこれに警鐘を鳴らしたい。テクニックを使ってうまくいくどころか、不幸になる可能性もあると。

ほとんどの人が自分の愛を愛だと誤解している件についてー恋人が浮気をしていると感じたら

「自分はこの人を愛している」「愛されている」

その感情のほとんどは、真理ではないと、私は思っている。

 

たとえば恋人や配偶者が、いわゆる”浮気”をしていると感じたり、事実だということがわかったら。

多くの人は、怒り、悲しむだろう。

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10年好きだった人に子供が生まれた、そして私は

 

高校生の頃、「八日目の蝉」という映画が大好きだった。

永作博美演じる女に共感したからだ。憧れた。自分には未来があって夢があって大切な人がたくさんいるからできないけれど、私も好きなひとの子供を自分の子供にしてしまいたい。そうずーっと思っていた。

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