マザーテレサになりたかった

愛と性欲を整理するためのブログ

ほとんどの人が自分の愛を愛だと誤解している件についてー恋人が浮気をしていると感じたら

「自分はこの人を愛している」「愛されている」

その感情のほとんどは、真理ではないと、私は思っている。

 

たとえば恋人や配偶者が、いわゆる”浮気”をしていると感じたり、事実だということがわかったら。

多くの人は、怒り、悲しむだろう。

泣き続け、自らの精神を削ったり、自分のどこが悪かったのだと思いつめる人もいれば、

相手を罵倒したり、責めたり、暴力をふるう人もいるだろう。

別れを選ぶ人も多い。

結婚していれば、不倫は立派な犯罪だ。

 

「あなたを愛しているから、私はこんなにも苦しい」

よくある言い方だ。

 

けれども、その”愛”は、相手を心から愛する愛ではない。

ただの自己愛に過ぎない。

そう私は思っている。

 

浮気されて悲しくなったから相手を責める、

それのどこが相手への愛だと言うのだろう。

勝手に好きなのは自分。勝手に悲しんだのは自分。

すべてただの自己愛だ。

 

本当に相手を愛しているなら。

相手が誰にどんな感情を抱いたって、関係を持ったって、

「その人がその人であること」に、変わりはない。

その人の、

理性のきかないだらしない性欲か、

踏みとどめることのできないほどの情熱的な恋か、

それを愛だと錯覚してしまう幼さか、

いやいやすべてを正当化してしまう本気か、

どれかの面が表面化されただけだ。

 

その人が楽しく、うれしく、幸せに過ごしていれば、

それは祝福されるべきことではないか。

相手のすべて、ありのままを受容するー

それが本当の、相手への「愛」の本質だ。

 

愛は、こいびと間であれ、親子間であれ、師弟間であれ、友人間であれ、

どんな種類で形だとしても、相互の人間関係によって育まれていくものだ。

それは確かであろうとも、一方で、基本的には「一方通行」であることも、確かだ。

 

わたしがあのひとに抱いている愛は

わたし個人の勝手な「自己愛」である。

 

この前提を持つと、叶わない恋も、運悪く傷つけられたときも、救われる。

 

私がこのことに気づいたのは、中学三年のときだ。

叶わない恋をしていた。

こんなに愛しているのに、どうして報われないんだろう。

悩み続けていたときに、

そうか、愛とは、自分自身の都合でしかないことが、前提にある。

つまりその「自己愛」をよしとして受け入れてくれたときに、

初めてみんなが認識しているいわゆる「愛」になるんだ。

と、気づいた。

 

そしてその、自分の考えや経験がすべて、ひとつの正しい答えであると、エーリッヒフロムの「愛するということ」に出会い、自信を持って言えるようになった。

 

愛するということ

愛するということ

 

 

 

それからは、相手の全てを本当の意味で受け入れる=愛することができるようになった。

 

ふられても、

「私を好きにならないのもこの人だ。この人が私以外の人を好きになっても、この人がこの人であること、私がこの人を愛していることは、変わらない。この人の幸せのために、私ができることは、側にいることではなくて、離れることだ」

 

そうやって、何度も何度も想いながら、一週間くらい泣きまくり、場合によっては10年以上想い続けながらも、あきらめることができるようになった。

 

それは本気で相手のことを好きじゃないんだよ、と言われたこともある。

こんな悟ったようなことを言って、と反感を買いそうでもある。

 

過去に浮気された時は、吐きそうになりながら気丈にふるまった。

結婚した今、夫から、他の女性の話を聞くと、胸が痛む。

好きだったひとたちを、あきらめていても、忘れられないままでいる。 

 

だから私も普通だ。

それでも、その苦しみは自己愛だと、思っている。

 

もちろんその自己愛を否定することはしない。

だってこの世でいちばん幸せにしてあげるべきは自分だから。

傷つけられた、と感じたら、相手を責めてもいいし、別れたっていいし、復讐したっていい。とも思っている。

ただ、それは相手への愛ではないよね、という話。

 

 

たとえば浮気されて、別れることを考えると辛いなら、

相手と一緒にいるのがわたしの幸せという自己愛を守るために、

相手を責める自己愛を封印しなければならない。

その自己愛のせめぎあいに折り合いをつけつつ、

相手の全てを受け入れることをしてみる。

そうやって自己愛と相手への愛の両立をすることが、

長く続く関係のひけつだと、思うのです。

 

好きなひとが他のひとと仲良くしていたら、

そりゃあ胸がざわざわして、頭が痛くなって、

自分と相手を必死で守りたい気持ちと、責めたい気持ちがせめぎあって、

死にそうになるけれど。

 

自分を愛し、相手を愛すること

どちらにも心から感謝できること

かんたんなようでとても難しい。

だから私は、マザーテレサに憧れているのです。

 

 

マザー・テレサ―貧しい人のために生涯をささげる聖女 (学習漫画 世界の伝記)

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マザー・テレサ―かぎりない愛の奉仕

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結婚して苗字が変わった結果

結婚して夫の姓を選択し苗字が変わりもうすぐ10か月が経つ。結婚する前やしてすぐ後は、手続きが面倒なだけで後は何も変わらないだろう、中身は変わらない同じ人間なんだしと思っていたが、だいぶ変わったことがあったので書こうと思う。さて何が変わったのか。まず前の名前で呼ばれることに違和感を感じるようになった。前の家、つまり親のことが、正直嫌いだった。母親は仲良くなれない女ナンバーワンだなと幼いころから感じていた。彼女は自己肯定感が低く、恐らくそれ故に他者にも嫌味ったらしい。仕事は好きなことをやるのではなく嫌なことを我慢してその対価としてお金をもらうものだという考えで、常にストレスを愚痴として家族に吐き出しながらやりたくない仕事をしていた。生活のためとかあんたたち子供のためとか言いながら。副流煙垂れ流すなボケェ、世の中には好きなことやって大金稼いでいる人なんてごまんといるわ、お前が好きなことを一生懸命やらなかっただけだろ、子供は自分の意思で産んだんだからお金がかかるのは当たり前じゃおたんこナスゥと思っていた。逆に父親は自分のやりたいことを仕事にして独立までしてそれで食べていけているが、差別意識がひどく、「物を作っていないメーカー以外のサービス業だらなんたらはちゃんとした会社じゃない」「娯楽エンタメ系の仕事は全部遊び」と決めつけ、芸術系大学に進学した私をとことん馬鹿にしていたし、卒業した今でも”そんなとこ”呼ばわりしている。二人とも会社に就職しているわけではないくせに、正社員採用で終身雇用でないとクソだと思っている。私にはやってみたいことがありビジネスとして世間に認められ必要とされるだろう確信があったが、それをやっている企業はまだなく、自分でやるしかないのかなと思っていたが、それとはまったく関係ない会社にとりあえず就職した。現在は退職し、結婚し出産し保育園に落ちたために主婦をしているが、これ幸いと会社やビジネスや起業やらの本を読み始めた。苗字が変わり別の家族となったことで親の呪縛から離れたような気がしている。自分の好きなことやりたいことを仕事にしよう仕事にできるよう勉強しよう、そう素直に腹を括ることができた。本当になりたい好きな憧れた自分になろうと自己肯定感を高めることができた。性格はなにも変わっていないが新しい自分になるための一歩を踏み出せたとは言えると思う。そして好きなことをやらせてくれ、自分もやりたい仕事のために勉強してくれている夫。本当に彼に出会えてよかったと思う。だから私は夫婦同姓にポジティブな印象を持っているよ。

一年前に就活で落ち続けた結果

スペック。
2015卒。女。四大。東京。容姿は並以下と思われる。
学歴はまあまあ(有名国立中→高偏差私立高→有名私大芸術系)
就活では50ほど落ち続ける。
 
 

とある会社のことを考えていた。新卒で入社した会社の外部研修にて、一緒にチームを組んだ会社だ。そこで私は一人の男を好きになった。と書くと語弊を招く。恋愛感情として好きになったのではない。人として憧れたのだ。彼はビジネスマンとして、社会人として、いやひとりの人間として、圧倒的に新人のくせに既に素晴らしかった。素直さと、ガッツと、ハートを持ち合わせ、イケメンなうえに嫌味がない。結果を出すことにこだわりを持つことができ、それに向けての研鑚を惜しまない。今っぽい渡りの良さがあるのに、古き良き日本人らしい謙虚で真面目なところもある。一瞬で憧れた。彼のような人間になりたいと思った。その会社は聞いたことのない中小企業だったから、会社には失礼だが、なんでこの人こんなところにいるんだろう?と疑問に思った。

 
その研修は、チームビルディングの研修だった。会社ごとがチームとなり、様々なイベントをこなし、チームどうしで一番を目指して競う。彼の会社は参加人数が多く、2チームに分かれた。その、彼がいない方のチームに私は配属された。(私の会社は私一人参加だったのだ)彼も私もチームリーダーとなった。ライバルである。
イベントごとに点数が定められていて、加点や減点をされていく。彼のチームはずっと一位だった。ああ彼には勝てないだろうと諦めていた。
というか勝つつもりもなかった。その研修はそれはそれは素晴らしいもので、「本気で頑張る」ことをやらされる、やらせてくれる場所だった。常に千本ノック。「一位になるという結果を出すのが仕事」「君たちは仕事でここに来ている。給料が支払われているのだから仕事をしろ」「本気になれないのは病気」そう、研修監督が叱咤する言葉で、努力することが苦手な自分を変えたかっただけで、一位になるこだわりを持てなかった。この研修にお金を出してくれる自分の会社のために頑張ろうなんてちっとも本気で思えなかった。でも彼は違った。もう一位なのに、努力し続けていた。
 
彼のいない方のチームになった私のチームメイトたちも、あいつは凄い、と言っていた。あっちのグループは優秀なほう。俺たちはダメなほう、敢えてそういうふうに分けられてて、悔しかったら結果出せって言われてる。それを聞いて、なんと恐ろしい会社なんだと思った。じゃあその悔しさを借りて、私も彼のレベルまで近づくために、頑張ってみよう。努力できない自分を変えたいし、研修監督めっちゃタイプで褒められるとドーパミン出るし。そんなふうに半分下心でやったら、参加人数ウン十人の中で、私はナンバーワンの評価を得てしまった。チームの順位以外に個々人の評価がつけられ、本人たちには知らされず、会社のほうに報告が行くようになっており、研修に参加していない同期からのLINEで知った。嬉しい、なんて感情より、意味がわからなかった。私より彼のほうが何倍も素晴らしい。そのうえ何倍も頑張ってる。なのに、私たち新卒を評価する側の人達は、私のほうが仕事ができると評価した。
 
私の就活は、人にはとても話せないものだった。50以上落ち続け、惨めに泣いてばかりいた。学歴は悪くない、バイトや部活経験も誇りを持って話せるものなのに、なぜ落ちるかわからず、わからないまま拾ってくれたのは最後の一社。内定が出たのは3月の18日。4月1日入社でだよ。そんなんでも、なんとなくでも、頑張ってみたいと思って頑張れば、評価はもらえることがわかった。ナンバーワンになり、他の会社の先輩たちに、ファンだよ、うちに欲しいよ、なんて言われまくったよ。
彼のことをなんとなく思い出して彼の会社のFacebookを見てみたら、2015卒の実績ナンバーワンは、私のチームにいた、ぶっちゃけうだつの上がらない子だったよ。
 
研修が終わって、皆、会社で頑張ろうという顔をしていた。私は、会社で頑張ろうという気持ちと、本当にこの会社にいるべきなのか?という疑問がフィフティーフィフティーで、研修を経たからこそ、本気で自分や会社のことを考えることができた結果、かなり速い判断で退職をし、今は子持ちの主婦になっている。
 
仕事をしてみて、退職をして、出産をした今、やっとなぜ落ち続けたのかわかる。そしてなぜ最後の一社が採用してくれたのかもわかる。人からアドバイスをもらっても全く見えなかったものが見えている。それを使って私はまた社会で活きたい。
 
あの研修から一年以上経って、切磋琢磨した仲間たちは、先輩になっていた。少し恥ずかしそうで、でも誇らしい顔をしながら。
彼らを羨ましいと思う。私はその道から降りたから。
 
でも私は、妻と母になるという夢を叶えた。そして今は、新しい夢があり、それを仕事にできるように勉強を始めた。
そのことについてと、なぜ就活に落ちるのか、それはまた書きたいと思う。

勘違いシングルマザー撲滅委員会

私はシングルマザーが嫌いである。もうその一言で世論から大バッシングを受けそうだが敢えて言う。どうしても嫌いなのだ。(夫との死別、虐待などどうしてもしょうがない理由を除き、夫婦不仲が原因によるものに限る)(もちろんシングルマザーによって育てられた人を否定するわけではもちろん無い)自分の親は離婚していないし仲もいい。じゃあなぜか。単刀直入に言えば勘違いヤロー(女性だからこの表現は正しくないか?)が多いからである。最近知り合いがシングルマザーになった。彼女は昔から自分と他者との関係をうまく築けない子だったから、確信が事実に変わっただけなのだけれど、この子もまあ例に漏れず勘違いヤローであった。いやー久しぶりにFacebook見てイラッとしたわ。そのエネルギーでこれ書いてる。ていうかもうFacebookってオワコンだよね。

 

皆等しく言うのである。「別れたほうがこの子のため」「絶対寂しい思いをさせない」ふざけんなと思うわけである。養育費を払えば問題ないのか。まず金銭的な問題。セレブを除き、一般家庭では例え養育費が全て夫側から支払われたところでだ。夫婦が共にいることの稼ぎより子供に与えられる分は多くなるのか?否である場合のほうが多いだろう。金銭に全く問題がないとして。自分を作った二人のうち一人が自分を捨てたという事実を子供に与えることとなる。別れても仲良くするから関係ないのか。家庭をつくるという義務を捨てたことは動かない事実だろ。そもそも論として、親となる覚悟が無いうちに子供つくるな。親になったら子供のためにお互いのために努力しろ。その努力できない相手を選ぶな。と言いたいのである。いいよ理論が破綻してることはわかってるよ!自分だってそうならない可能性がゼロってわけではないし子供がいる以上ね。あれだそう生理的に無理ってやつなんだ。夫婦仲が悪いことに対する生理的嫌悪感。自分の親が今は仲良しとか書いたけど、一回別れかけてて、もうその数年が地獄だったの。父親からの触れ合いを拒否し、その拒否を子供に手伝わせる母親。ママが嫌がってるでしょ!って何もわからないうちに私は何度言わされたんだろう?それから外で不倫をして知らない男と密通する、恋するなとは言わないよ大人なら美しく秘めろよ、それをわざわざ探偵まで雇って問い詰める父親、外にアパートまで借りて別々で寝て、その家賃を工面するために時給800円のバイトを休日返上してやってた母親。どちらも本当に気持ち悪かった。おまえは子供だからなにもわからん!て言われてたけど、人よりは恋愛してきた数は多かったし、自分も不倫したことあるし。親の前では子供ぶってあげていた。それがなにもできない私の抵抗だった。許せなかった。今はそんなこと忘れたみたいに、若いころより仲がいい。二人は努力したんだろう。でも私はまだ許していない。謝られてないし。そのころの気持ちの煮凝った部分を、夫と息子を愛することによって癒しているところがある。親の不仲っていうのはね親が思ってるより子供を傷つけるんだよ。だからシングルマザーと子供を捨てた男よ勘違いするな。おまえたちは、どこまでも十字架を背負って生きろ。心から申し訳ない、情けない、恥ずかしいと思え。そういう選択をしてしまった自分と、選んだ相手を。暗い闇をシングルマザーに押し付けて憎んでいるだけだね。ビビりだから叩かれる前に消すと思うよ。そんじゃーね。

10年好きだった人に子供が生まれた、そして私は

 

高校生の頃、「八日目の蝉」という映画が大好きだった。

不倫相手の赤ちゃんを誘拐し、捕まるまで逃げ続けた女(永作博美)と、その自己愛を母からの愛と刷り込まれ、「二度」母からの離別を強いられた不幸な娘(井上真央)の逃避行。怖い、気持ち悪い女を演じれば天下一品、美人なのにやけに庶民の生々しさを持つ永作博美の狂気から、話題作になったと記憶している。

 

この映画の表面は、ホラーだ。親からしたら赤ちゃんを誘拐されるなんてたまったもんじゃないし、実母からしたら自分以外の女を母と認識するなんて絶望。実のお母さんと再会するとき、子供は永作を見つめ離れたくないよお母さんと言うのだ。許せないよね。

でも私は、この永作博美演じる女に共感していた。憧れた。自分には未来があって夢があって大切な人がたくさんいるからできないけれど、私も好きなひとの子供を自分の子供にしてしまいたい。そうずーっと思っていた。

 

十年好きだったひとがいた。出会ったころからずっと想い続け、いつか結婚できると信じていた。愛を磨いていれば、いつか神様が味方してくれると。それが難しいなら、付き合いたい。付き合うのが無理なら、せめて一夜だけ。

それすらもできないなら、自分の夢を自分のかわりに叶えた女と、善人のかたまりみたいな顔をして誰からも好かれる彼に、憎しみを与えてやりたい。憎むという行為はきっと美しくないから、美しくない感情でいっぱいにしてやりたい。でも、愛と憎しみを紙一重にするなんて愚かで低俗。だから行動には移さない。

行き場を失った感情は胸の奥にこんこんと眠り続け、いつか自分が他の誰かと結婚式を挙げるときに、涙としてあふれ出すんだろうと思っていた。

 

その彼に先日子供が生まれた。ああ、良かった、と心から思った。

好きだったひとが幸せだからじゃない。

彼の幸せになんてもうまったく興味がない。私自身が幸せだったからだ。

 

私は彼よりわずか数か月早くに、結婚も出産もした。もし、未だ独身で、社会にもまれ孤独を感じていたならと考えるとぞっとする。彼のことを考え続けた十年がただの無駄になる。

断ち切りたい恋があるならそいつより早く幸せになることが手っ取り早い未練の葬式。

 

私が生んだのは男の子だった。女か男かそれ以外かなんてどうでもいい、子供はみんな等しく尊くて美しい。

でも息子が男であったことによって、救われた部分もある。

 

私はパンセクシュアルを自称している。これについてはいずれ詳しく述べたいと思っているが、ひとを好きになることに性別やセクシャルは関係ない(同性愛とはちょっと違うのが難しいところ)という性癖なので、女の子を好きになったことはもちろんあるし、そういえばファーストキスも女の子だった。

でも男を好きになることのほうが数としては多かったし、それでいっぱいいっぱいで、女の子に踏み込む勇気はなかった(し、そもそもタイプをあげるなら男好き系が好きだからいいなと思う前から可能性ゼロ)から女の子との恋愛経験はなくて、ずっと男に泣かされてきた。いい思い出もいやな思い出も男とばっかりだ。それをぜーんぶ、肯定してくれた。この子に出会うために今までの苦しみがあった、そんなお花畑なセリフが本気で吐ける。

そしてこの子に出会わせてくれた夫にも同じ気持ちだ。二人とも尊い。手を合わせるくらい。女の子だったら一生一緒にいられるけれど、男は早くてもう小学生から外の世界に行ってしまう。だからかわいいかわいいなんて言えるのはほんと、今のうちだけ。

 

その先に、男になって、社会をつくって、大人になって、誰かを愛する息子がいる。その「大人の男」のために、私はいる。

食べさせるだけではなくて、いつだって圧倒的味方。信用できる大人。

そうならなきゃいけないし、そうなるのには努力が必要だけど、その立場を一応許してくれる男なんてね、他にはいないよ。

 

 
映画のラストは覚えていないんだけど、原作の小説では、誘拐した女に一匙の救いがある。
好きなひとの子供を薫と名付けて、心から愛して、その愛は自己愛だから、犯罪者として裁きは受けるけれど。薫という偶像を心の支えにしてたった一人で生きていく女と、大人になった薫(本名はえりな)がすれ違う。
互いに気づかないが、それは作者による、叶えられなかった愛を弔う人々への思いやりだとも思うのだ。
 
久しぶりに読み返して、わんわん泣いた。そしてこんな女だった私を、結果として肯定してくれた息子にありがとうと言った。
彼の娘の名前に、薫という文字が入ることにも、なんの偶然も意味もないただの笑い話。悲哀の自嘲でなくて、ただおかしくて笑ったら、まだなんにもわからない息子も笑った。
ああかわいい。ありがとう。彼の存在をだしにしなくたって、あなたと、そしてあなたのお父さんは、とっても特別で素敵なんだと言い続けよう。
 

 

八日目の蝉

八日目の蝉

 

 

八日目の蝉 (中公文庫)

八日目の蝉 (中公文庫)

 

 

 

更新していない間に結婚妊娠していましたてへぺろ

タイトル通り。


気づいたら新年が明けていました。あけましておめでとうございます。
バタバタしていて結局新年の更新になってしまった!

 

なんと9月に入籍致しました!
付き合っていたひとと、お互いに、生きていくことの難しさや尊さを共有したいと思うようになり、近い将来、一緒になることを積極的に考えていたら、有り難いことに子供を授かり、予定が早まることになりました。
で、もう数日後に出産を迎えます。笑
男の子の予定です( ´ ▽ ` )ノ


他者と生活をすること、他者を自分の身体に宿すことを経験し、今までどれほど自分が無知で、ひとりよがりだったかを知りました。
結婚も、妊娠も、恐ろしいことです。自分のからだ、行動、考え方、お金の使い方などなどが、自分だけのものではなくなるのだから。
重くて、責任という言葉では足りない。でも、すごく、楽しいです。苦労や困難も、不幸ではなく、幸せなクリエイティブです。


今までの最大の夢と目標は、「愛するひとと共に生き、そのひととの子をうみ、育て、家庭を存続させること」でした。
中学一年生の時から、仕事や趣味など、やってみたい成し遂げてみたいことが変わっても、これだけは変わりませんでした。
家庭を「存続」させることが目標なのでこれは死ぬまで続くのですが。
大したことはできないので手を抜きながらだけど、配偶者になってくれた彼にも、子供にも、恩返ししながら生きていきたいなと思っています。
すごーく、ワクワクしています!!

 

いろんなことを経験し、考え方や価値観も大きく変わった一年でした。

ダミーヘッドマイクでエッチしよう!!とか言ってたのに、

今の目標は、将来、子供に「給食もお母さんのごはんもおいしい」って言われることだからね。笑


また生まれて落ち着いたら更新しまーす(^○^)

同時に、いろいろなことをぼちぼち書いていきたいです!

マイペースにね!!

白百合の花が咲いたら

今日は少し、自分の恋や愛の話をしようかと思います。

 

すきなひとがよくお花に見えるんです。

こんなことを言うとロマンチストすぎる現実を見ない逃避家に思われるので、誰にも言ったことはないのですが。

肉厚で鮮やかな花びら、凛としてみずみずしい茎と葉、はらはらと簡単に落ちてしまうのに、生命のもとになる花粉の儚さ。

そんなものを、すきなひとの中に見るのです。表情や、その日の健康や、体つきから生み出されるしぐさに。

繊細だったり大胆だったりしてぱあっとひらく。

 

一年以上に渡った就活が終わった瞬間、彼の家に向かいました。

ずうっと自分を否定され続けて、やっと期待してくれる人が見つかった。その間支えてくれていたから、誰よりもいちばんに伝えたくて、連絡もせず、いるかどうかわからないのにいちかばちか、ノックをしたら眠そうに迷惑顔の彼が出てきて、決まったよって言ったらね、


そのときの彼が、あまりに優しく、大きく、奥から深く、笑ったんです。おめでとうって。

 

大きい笑顔ってわかりますか。
空気を巻き込んで色づけたり硬さを変えるんですよ。

そこにあった空気がいっきにやわらかくなって、美しくなって。

 

白百合に見えた。色白の肌をしているのもそうだけど、息苦しいくらい強く抱きしめてくれて、そのときの肩や腕の大きさが、白百合の花の大きさと重なったんだと思います。

 

それから私たちは二人とも渋谷で、歩いて7分の距離で仕事をしています。

ものすごくハードな仕事なんだけど、あのビルに彼がいるんだな!って思うと背筋が伸びる。

花ってすごいよね。ときめかせるし、手をかけたいし、安堵させるし、元気をくれる。

 

昔はそんな花に対して臆病でね、水をやることも、肥料を与えることも、切って殺してしまうこともできなかった。

けれど今は、放っといたって美しい花の美しさを、疑問を持たないまま正直に受け入れることができるんです。


美しさと付き合うのは難しいの。嫉妬してしまったり必要以上に羨望するとこちらとあちらのバランスが崩れるから。

 

そのままできれいな白百合の花が咲いたら、それはいともたやすく、世界を救うんですよね。

 

それって本当にすごい才能だと思います。

 

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