雄っぱいは巨乳に限る
女は常に胸の大きさに悩み続ける生き物です。
「貧乳」はもちろんのこと、うらやましがられる「巨乳」の人達だって、
服が入らない可愛い下着がない汗がたまる肩がこる男が胸目当てで寄ってくる、と大きくても小さくても同じこと。そのうえ形や色もコンプレックスになり得る。
酒の席なんかで公にサイズを当てられたりして、男はゲーム感覚かもしれないけれど女側はだいたい傷つくかバカにしています。
女の胸の大きさを偉そうに評価するなら、
てめえの息子のサイズも評価してやろうかぐすんぐすん
と思っていますが雄っぱいは巨乳に限ります。
腐女子文化にもう戻ることはないと離れて六年、運命的な出会いを果たし戻るどころかずっぷりと沼にハマった今、同人ホモ市場に、昔はなかったものがたくさん生まれていることに驚きました。
そのひとつが今回のテーマ「雄っぱい」です。
なんて下品な言葉なんでしょう。そのまま男の胸という意味です。
男の胸なんかにロマンはない?大有りです。
服がピチピチになるほどに盛り上がった胸筋・・・タンクトップから見える谷間・・・
女の胸の大きさは、遺伝や育った環境が強く由来していますが、
男の胸の大きさは単なる努力の結果です。
そこに筋肉をつける負荷を体に課しているかどうか。
細い体もセクシーだけれど、ただ貧相なだけだったり、不健康な太り方をしているのは、不摂生なだけ。
Tシャツ一枚できまる肩幅の広さと胸筋と背筋の美しさ!そんな男の体を見るたびにもはや芸術を感じます。
ところで男の人って乳首は感じるんですか?
私の経験内では女と違って個体差がすごくあるなーって思うんです。
でも女よりは鈍感ですよね。あれって普段から男は外気や外の刺激にさらされているせいで慣れているからかなって思う(よく上半身裸で走ったり泳いだりできるよなあ…)んですけど、
そのたびに現実と違うんじゃね?って疑問と萎えが来てしまう。
私のテクが無いだけですか?黙ります。
その前にてめえが巨乳になってから言えって?すいませんでした・・・
ひとりのクリスマスがなぜ愛しいのか?
25日に会っているカップルを見るとああ二股で二番目だなって思うのなんとかしたい
ということで最大の恋人イベント・クリスマスでしたね。
私は、クリスマスのコスすれば女の子は無料だよ☆的なチャラいパーティーの招待をスルーして、ずっとトイレにこもっていました。聖なる夜でも性なる夜でもない、泄なる夜でした。
せっかく肩と背中が大胆に出ている、別珍の青いオールインワンと、白のチュールビスチェドレスという、最高に可愛いパーティールックを二着も持っているのに一向に着る機会がありません。
久しぶりに一人きりのイブでした。
友達とも恋人とも過ごさず、家族ぶんのチキンとケーキを買ってコールスローサラダとポトフを作り、弟と二人で食べました。
こう書けば、刷り込まれたクリスマスという日へのイメージのせいで、寂しいとか切ないなんて感情表現が出てくるのが一般的かもしれません。
しかし私はとてもわくわく、いきいきと、朗らかで健やかな気持ちでいました。
去年は仕事帰りの彼氏と待ち合わせをして、街が浮ついてうるさいこんな日に外食なんて野暮だから、デパートで惣菜やハーブスのケーキを買って、彼氏の家の冷たいフローリングの床に座って静かに食べました。
その去年を思い出しても、切なくならないどころか、むしろ去年より明るかったかも。
だってそのぶん、私には書くことと書く時間が与えられるのです。
外向けに面白い恋愛、性欲についての文章を提供したいという想いで書いているこのブログや、ホモエロの二次創作小説、大学の卒業論文。書きたいものであふれている。
芸術でも芸能でも商業でも、音楽でも文学でもコピーでも「想い」を書くことの源泉は、愛だと私は思っています。他人、自分、ものに対する愛。
特定の恋人と付き合えていて、見つめ合っているもしくは同じ方向を向いて歩いている、そのどちらの状態でも得られないのは、たったひとりでひとりの自分を見つめることのできる愛です。
そのひとりの自分を見つめることのできる愛というものは、なにかを感じとる「感覚」というものを研ぎ澄まします。
二人でラブラブで手を繋いで歩いていたら、寒さなんて忘れてしまう。ひとりで歩けば、息が白いこと、肌が乾いていること、日に日に空気の冷たさが増していくことに気づくことができるのと同じです。
恋人ができても、二人でいるときはなるべく外に意識を向けるようにしています。
だってお互いだけ見つめる恋愛なんてもう飽きてしまったから。そんなジェットコースターのようなドラマは、一度体験すればじゅうぶんです。
世界への感覚をとがらせて、自分たちがどのように存在しているのかを感じる。
それに作用する四季や、二人の距離感、抱えていることについて考える。
ひとりを愛することも、ふたりを愛することもできるから、やっぱり愛は面白い。
盛り上がるだけが恋じゃないし、恋をしていないのは惨めなことではない。
ひとりもふたりも、楽しいんです。
愛という概念を感じる感覚さえ自分の中にあれば。
性癖という言葉はとても広義で、恋愛の仕方すら含まれると思っています。
だって恋愛のレベルが同じ人とするセックスが、最も相性のいいセックスだから。
ただセックスの最中に外に意識を向けさせてしまう男はダメです。これは問題です。キスは良いけれどセックスはダメです。
客観的に冷静になって見たら滑稽なだけだからね・・。
一徹さんが相手なら美しいですか?わたしもそう思います!!
立体音響オナニーのすすめ
まるで海にいるよう【体感的、立体音響】【超高音質】 - YouTube
映画やテーマパークでおなじみの、立体音響。本当に自分の遠く、背後、隣と、距離があるように聞こえる、天才的な発明。ヘッドフォンで聴くと、それは更にリアルさを増します。
この立体音響を使って、作られた18禁CDがすごいんです。
本当にすごい。
声優がエロボイスを耳元でささやいてくれて、そこにSE(効果音)が入ったドラマ、つまり対自分の疑似セックスドラマなんですけど。
ここ最近急速に市場が拡大しているのも頷ける。
たとえば今まで、対自分のエロドラマと言うと、いわゆるギャルゲー、エロゲー、乙女ゲーと呼ばれるものがあります。
音に臨場感があるからか、今までのゲームの類とは脚本のリアルさが違う。
息を吐く音が聞こえると本当に息を吐かれているみたいなんですね。
もちろん脚本にもよりますが。
私はもはや、これが本物のセックスだと思いました。
ちゃんとメイクラブだから。
猟奇的だったり暴力的なものもあるので、それは例外ですが。
心から愛され求められるドラマが多いんです。
女は感情で欲情する生き物。シチュエーションに興奮することはあれど、絶対的な信頼と愛の前にはそんなもの敵わない。女という性別として消費されるのではなく、個人を求められることが、同時に求めろと言われることが、どれだけ嬉しく、また現実にはないことか。
日本の男は女を見下していて、きちんとメイクラブができないから外人の男とセックスをしなさい。ちゃんと愛を育んでくれるからと、敬愛する先生に言われたとき、悲しくも頷くことしかできなかったのです。
日本の男の性欲は女を見下すことからスタートしている。
それは日本のエロコンテンツが提供しているものを見れば説明できます。
漫画もAVも実際の色恋もそうです。男からしたら無意識かもしれない。でも女は傷ついている。傷つくどころか、もう悲しいという感覚すら麻痺している。
コンビニに入れば顔を赤らめて虚ろな目で、白い液体をかぶってこちらを見ている可愛い女の子たち。
電車に乗れば暴力的な活字に煽られた、ビキニを着たアイドルたち。
その子の感情も知らずに、あいつは簡単にやれそうだからキープ、やれたから飽きたとのうのうとのたまう男たち。
こんなものが当たり前に日常にある。性別そのものを蔑まれることに疑問を抱く余地すらない。
もちろん男だってちゃんと愛して恋します。結婚もするし子供を育てる。しかしその真剣な純粋さの横に、あまりに暴力的な性欲もある。一対一の人間関係を築くとき、前者になれず後者に当てはめられるかわいそうな女がなんと多いのか。
そして女は絶対的に愛することができ、愛したぶんだけ返してくれる人に落ちていく。ジャニ、韓流と実在するタレントや、ホスト、二次元のキャラクターに。
セックスのうまさはテクや経験が理由ではない。どれだけ心から思い合っているか。相手を思いやり尽くせるか。
これにつきると思っています。
想われることで濡れるんです。
盛り上がりだけの時とは濡れ方が違う。
物理的な刺激なんかいらない、声と言葉と感情だけでいいくらい。
女性向けAVが日の目を浴び始め、女の性欲もオープンになってきた昨今、きっと明るみに出るのではないでしょうか。
電気を消して、目を閉じて想像して、寝る前に聞く。心もからだも溶けてとても満たされます。早く必要なくなればいいんですけどね。精神年齢の高い恋愛をしたいものです。
自担似と寝るのはダメ、ゼッタイ
自担。
それはアイデンティティにすらなる概念。
男のアイドルヲタクが用いる「推しメン」とは深さが違う、女特有の表現。
ジャニヲタが最も応援し好きであるタレントのことを指す言葉。
担当する、だなんて重いね。それは「半ば恋愛対象として」好きな場合もあれば、「タレント性を認めて応援していたい」場合もあれば、「息子のようで愛しい」場合もある。感情の種類は数あれど、最も優先順位が高いという意味は共通だろう。例えば亀梨がその対象の場合、「亀担です」と名乗るというわけ。
私も例にもれずジャニヲタです。
ファンクラブには入らない、CDは買わない、コンサートは行っても年に一回という酷いレベルですが、心の支えになっている「自担」がひとりいるのは同じ。
もっとも、歌も演技もダンスもトークも下手なので演者としてはまだ認めていないし、成人はしているけれど年下でかなり幼いように見受けられるので、彼にうつつを抜かしているわけではまったくない。でも、なんで好きなのかはわからないけれど好き、それほど強く胸を引っ張っていました。
そんな私に変化が訪れます。最近ではないですが、その自担に容姿も性格もよく似ている人と寝てしまったのです。
それについては後悔はしていません。むしろそうなってよかったと思っています。信頼関係が築けている絆があるので。
好きなタレントに良く似ている人と寝る。
普通に考えればかなり美味しいシチュエーションであるはず。実際に無意識に、リアルに好きな人とタレントを重ねて、そのタレントを見つめていたこともたくさんある。
でも、私にとって自担の彼はそうではない。
せっかく、誘惑に負けてポスターも買ってしまったというのに、貼れないんです。
彼の中に彼だけを見ていたかったのに、思い出してしまう、ちらついてしまうのです。ああよく似ているなあと。
どちらか、もしくはどちらにも恋をしていればきっとうっとりできた。
することは将来あるかもしれない。でも今はそうではない。
いや、もし恋をしていたとしても、純粋に個人のことを見れなくなってしまうのはつらいこと。
自担が唯一無二の特別な存在であるならば、自担似の人には慎重になること。こんな教訓を得たのです。
普通喜ぶのにね。まったく私の性癖はやっかいです。
キレイなオフィスでホモ視姦
仲良しのイケメン二人を見て腐女子が思うことはただひとつ。
もちろんホモ妄想しかない☆〜(ゝ。∂)