マザーテレサになりたかった

愛と性欲を整理するためのブログ

ひとりのクリスマスがなぜ愛しいのか?

 

25日に会っているカップルを見るとああ二股で二番目だなって思うのなんとかしたい

 

 


ということで最大の恋人イベント・クリスマスでしたね。

 

私は、クリスマスのコスすれば女の子は無料だよ☆的なチャラいパーティーの招待をスルーして、ずっとトイレにこもっていました。聖なる夜でも性なる夜でもない、泄なる夜でした。

 

せっかく肩と背中が大胆に出ている、別珍の青いオールインワンと、白のチュールビスチェドレスという、最高に可愛いパーティールックを二着も持っているのに一向に着る機会がありません。

 

 

久しぶりに一人きりのイブでした。

友達とも恋人とも過ごさず、家族ぶんのチキンとケーキを買ってコールスローサラダとポトフを作り、弟と二人で食べました。

こう書けば、刷り込まれたクリスマスという日へのイメージのせいで、寂しいとか切ないなんて感情表現が出てくるのが一般的かもしれません。

しかし私はとてもわくわく、いきいきと、朗らかで健やかな気持ちでいました。

 

去年は仕事帰りの彼氏と待ち合わせをして、街が浮ついてうるさいこんな日に外食なんて野暮だから、デパートで惣菜やハーブスのケーキを買って、彼氏の家の冷たいフローリングの床に座って静かに食べました。

その去年を思い出しても、切なくならないどころか、むしろ去年より明るかったかも。


だってそのぶん、私には書くことと書く時間が与えられるのです。

外向けに面白い恋愛、性欲についての文章を提供したいという想いで書いているこのブログや、ホモエロの二次創作小説、大学の卒業論文。書きたいものであふれている。

 芸術でも芸能でも商業でも、音楽でも文学でもコピーでも「想い」を書くことの源泉は、愛だと私は思っています。他人、自分、ものに対する愛。

 

特定の恋人と付き合えていて、見つめ合っているもしくは同じ方向を向いて歩いている、そのどちらの状態でも得られないのは、たったひとりでひとりの自分を見つめることのできる愛です。

そのひとりの自分を見つめることのできる愛というものは、なにかを感じとる「感覚」というものを研ぎ澄まします

二人でラブラブで手を繋いで歩いていたら、寒さなんて忘れてしまう。ひとりで歩けば、息が白いこと、肌が乾いていること、日に日に空気の冷たさが増していくことに気づくことができるのと同じです。

 

恋人ができても、二人でいるときはなるべく外に意識を向けるようにしています。

だってお互いだけ見つめる恋愛なんてもう飽きてしまったから。そんなジェットコースターのようなドラマは、一度体験すればじゅうぶんです。

 

世界への感覚をとがらせて、自分たちがどのように存在しているのかを感じる。

 

それに作用する四季や、二人の距離感、抱えていることについて考える。


ひとりを愛することも、ふたりを愛することもできるから、やっぱり愛は面白い。

 

盛り上がるだけが恋じゃないし、恋をしていないのは惨めなことではない。

ひとりもふたりも、楽しいんです。

愛という概念を感じる感覚さえ自分の中にあれば。

 


性癖という言葉はとても広義で、恋愛の仕方すら含まれると思っています。

だって恋愛のレベルが同じ人とするセックスが、最も相性のいいセックスだから。

 

 

ただセックスの最中に外に意識を向けさせてしまう男はダメです。これは問題です。キスは良いけれどセックスはダメです。

客観的に冷静になって見たら滑稽なだけだからね・・。

 

一徹さんが相手なら美しいですか?わたしもそう思います!!